PART 2
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「菱屋善兵衛」は創業当時から、帯地のほかに相撲の化粧廻しも製織していましたが、
明治19年に家業を継いだ四代目からは帯地のみに専心、
ジャカード機を導入して設備を整え、繻珍(しゅちん)の丸帯を多く製織していました。
積極性に富んだ五代目は各種の帯を手掛けましたが、一時は絽の丸帯のみを作り、
「絽ならば木野」とまでいわれたそうです。 |
職人の手織の様子(当時) |
やがて時代は大正に移り、9年に襲った経済恐慌は菱屋善兵衛にも大きな痛手を与えました。
昭和23年に後を継いだ、現社長の祖父である六代目は、「自己の力に応じた背伸びをしない経営」
を念頭に堅実経営に徹し、常に「良い商品を安く提供する」ことをモットーとしました。
そしてその姿勢が、現在も揺るぎなく受け継がれています。 |
当時の図案が保管されていた蔵 |
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